104歳の死に学ぶ
先日、義理の祖母が亡くなりました。
享年104歳で、本当に長生きされました。
過去に大腿骨の骨折を2度しており、車椅子生活ではあったものの、移乗は軽介助レベルとしっかりとしていたものの、
それまで、
病院や施設を転々とし、
そして、
最期には、かなりいい施設に巡りあいました。
食事は、ご飯もペースト状にも関わらず、しっかりと食材、料理の形状をしていて、食欲のそそるような見た目。
亡くなる前日まで、しっかりと食べてました。
施設に入ってからも、職員との交流や、他の利用者さんとの交流、
イベントも沢山あったり、
その都度写真を撮っては、飾ってたり、親族に渡すようにファイリングしてあったり。
亡くなった日も、なかなか起きないので、声掛けして、揺すってみたら、いつもと様子が違ったので、息をみていくと、
まだ暖かいものの、息はなく、眠るように亡くなっていたそう。
寂しい思いはありつつも、ピンピンコロリっていう、いい亡くなり方をしたなぁと思ったもんです。
そして、
亡くなる方を多々みてきた医療従事者からすると、今回のことは、ある意味いい気づきを与えてくれました。
私達は、日々、患者さんを良くしていく為に、リハビリということを行っています。
良くしていくっていうのも、
なにも、身体的にって訳でなく、
その人の生活を良くしていくこと。
だから、無理のない範囲で、その人の身体能力を見定めて、
そして可能性のあるところを広げていくことが重要だったりします。
そして、必要に応じて、福祉道具や、環境設定を行っていき、
生活をしていきやすいように整えていきます。
そして、それは患者さんに向けた視点。
高齢の患者さんをみていると、
やはり、先は短いもので、
その中でも、家族さんに何を遺していけるかも大事なことではないかなぁと思います。
リハビリを行っている中での笑顔のある風景、何かに取り組んでいる風景、
笑みが溢れるような光景、
などなど、
後で振り返ったときに、
あの人が担当で良かった、
あの人と関われて良かった、
あの施設や病院で過ごせたことがよかった、
など、
そんな思いを家族さんに遺していけるようなことが出来たら、
患者さん、家族、そして、関わっている我々スタッフともに幸せなことではないでしょうか?
サービスという無形のモノを提供していて、
より患者さんや家族に近い、我々リハビリ職だからこそ、
無形のモノの価値をより高めていくが、求められるかもしれないですね。
最近では、リハビリ虐待なるものもあり、
しんどい、辛い、やりたくない、そっとしておいてほしい、
などの思いがあっても、リハビリ病院ということで、
医師には薬でカンフル剤的に、そしてリハビリ職には運動を
といった、本人が全く望んでいないことをさせられていることが虐待である
との記事もみました。
患者さんや家族さんが望むように、社会的復帰を目指して、
よりよい身体状況、
より過ごしやすい環境、
を整えていくことを考えることが必要であり、
リハビリ病院だからといっても、
その人に合ったようにリハビリを勧めていくことが求められているのではないでしょうか?
それは、技術でもなく、知識でもないので、
心一つ、
意識の持ち方一つで、相手に提供できることなので、
今からでもできることですし、
もしかすると、そういった心遣いは、技術や知識を越えて、相手を良くしていくかもしれないですよ!
そして、医療従事者でなくても、
亡くなった方は、沢山のメッセージを遺してくれていたりします。
それは、楽しかったことや嬉しかったことなどの記憶に残っていることのほかに、
見えないつながり、
そして、
無言のメッセージが沢山詰まっています。
あなたは、亡くなった方の在り方から何を学びますか?
時に墓参りをして、故人を偲んでみてもいいかもしれないですね。